この藤原宮跡には、平城宮跡のような復元された建物がありません。ただの「野原」です。案内の看板や発掘中の現場がなければ通り過ぎてしまうような場所。今日のような暑い日に行くところではありませんネ。
平城京に遷都されるまでの16年間、この藤原京が日本の「首都」。この時代に「大宝律令」が完成し、この地から遣唐使が派遣されました。その歴史を感じさせてくれるものは‥残念ながら大和三山のみ。三山をこの京はのみ込んでいたのですから、それはもう大きな都だったことが想像できます。
「大極殿」あたりから見える畝傍山 |
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これ以上ないような暑く晴れた日。それこそ水入らずのひなたぼっこが楽しめたことでしょう。ヨカッタネ、とやっかみ半分のコメントを送ります。
返信削除MR.BONさんへ
返信削除後悔しています、こんな暑い日に行かなければよかったと。
でも、こんな日だからこそ「資料室」の方からこれ以上ない「親切」をいただきました。
あの部屋はクーラーが効いて、快適でした。
今日は6月としては最高の暑さとか、
返信削除ほとんど日陰もなくって暑かったでしょうね。
奈良文化財研究所には行きましたが、
「藤原京資料室」気が付きませんでした。
発掘もしてないし、柱もなかったときはほんとに広いグラウンドみたいでしたよ。
pikkuさんへ
返信削除コメントをいただきありがとうございました。
pikkuさんにとっては何てことのない「お散歩」です。汗を少しかいた後、すぐに「資料室」に入ったので…。
pikkuさんのように山の上からの景色を楽しむなんてことはデキマセン…
「資料室」は世界遺産登録を目指すために開室されたチャチなものです。「研究所」とは大違いです。