2011年7月31日日曜日

庭のせん定前とせん定後

今朝、8時前から毎年してもらっている庭のせん定を。いつも二人がかりで、2時間半ほどの作業(狭い庭ですから)。庭木と生け垣のせん定をしてもらっているのは、よく野菜をいただいている義父の同窓生でもある造園業者。

木の種類はマキ、ツゲ、月桂樹、木蓮、梅、山茶花…など。隣の家にまでのびていた木はバッサリ切ってもらいました。左がせん定前、右がせん定後です。









せん定のために猫の侵入防止用ネットを取り外したのですが、さっそくその翌日から猫が庭に。これからしばらく様子を見て、また糞害に遭うようなら再びネットはりを考えなければなりません。


作業を見届けてから、日本アコーディオン協会の西日本在住の理事と評議員の懇談会に出席するため中之島公会堂へ。公会堂のすぐ近くに新しい駅ができたのですが、見るのは今日が初めて。田舎ものの悪い癖でつい写真を撮ってしまいました。

会議は1時から5時まで。そのためブログのアップがいつもより遅い時間になってしまいました。
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2011年7月30日土曜日

僕とカミンスキー

ダニエル・ケールマンの「僕とカミンスキー=盲目の老画家との奇妙な旅=」(瀬川裕司訳 三修社)を読みました。

著者はドイツ語圏での有望な若手作家だそうで、この「僕とカミンスキー」は24カ国語に翻訳され、次作の「世界の測量」も多くの国で翻訳出版されたようです。

なぜ、それほどまでに人気を博した本なのか、読み終えてからもよく理解できないでいます。

物語は至ってシンプル。無名の若手美術評論家が「盲目」の有名な老画家の自伝を書いて世間の注目を集めようと、老画家の住むアルプスのアトリエ兼住まいを訪問し、半ば誘拐するように画家の昔の恋人にあわせるために旅を共にし、その過程で老画家の「真実」を知り…あとはお読み下さい…

主人公の美術評論家ツェルナーは、礼儀・礼節とはまったく無縁な男。ウソをつくのは当たり前。周囲の人々との衝突、けんかも日常茶飯。そもそも老画家カミンスキーの自伝を書こうとする動機も不純。絵や人物が気に入ったからではなく、「死」を間近に控えている人物であるということ…。

このツェルナーの一人称視点で物語が進行するのですから、気分よく読めるはずがありません。しかし、物語が進むにつれて老画家カミンスキーの方が一枚も二枚も役者が上であることが明らかになっていきます。この辺りからやっと「面白く」なってきます(物語が終盤にさしかかる辺り)。

そして、想像もできなかった意外ないくつかの事実をツェルナーが知ったとき、貴重な取材メモや録音テープなどを海に捨て、これまでの自らの行いを悔いるシーンで終わりを迎えます。

もしかするとツェルナーがこの後真っ当な生き方を選ぶかもしれないという期待を抱かせて終わるのですが、この物語に登場するどの人物にも「共感」を覚えることができず、不快な読後感が残るのみ。このブログを読んでいただいている方に「いい本」を紹介したいのですが、またまたボヤキになってしまって申し訳ありません。
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2011年7月29日金曜日

2回目のアコーディオン初級教室

奈良アコーディオン愛好会の第2回「初級教室」を前回と同じく橿原市のS公民館で行いました。今回もTさんが様子を見に来られ、4人で音楽室を贅沢に使用…。

まず、前回の復習。そして、右手の練習。お二人とも鍵盤楽器の経験がほとんどなく、右手の指を次のような楽譜で弾く練習から…。指にばかり意識がいって、ジャバラの開閉がおろそかになるという、誰もが通る道の入口です。

私自身も習い始めのころ、指が思うように動かずイライラしたことを思い出してしまいました(今もそんなに変わってはいないのデスガ…)。ツブがそろわず「クソッ!」を何度くり返したことか…。テンポをアップすると薬指と小指をうらみたくなる、そんな練習です。

そして、左手のボタンの音(和音)について、メジャーコード、マイナーコード、セブンス、ディミニッシュの「お勉強」。私の知る限られた範囲でのことですが、何年もアコーディオンを弾いているのに、この4つの和音でさえ右手で作れない人が案外いるのです(関西では、知ランカッテモ生きてイケルワイ…が通用するのデス)。

休憩なしで2時間。あっと言う間に時間が経過。今回はTさんが用事で帰られたので3人で昼食。次回のレッスン日を決めて解散したときには、さらに2時間が経過していました。

吉田親家77コンサートの専用ブログを更新しました。ぜひご覧下さい。)
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2011年7月28日木曜日

5時間かかって汗まみれ

今日は9時から3時まで、昼食休憩をはさんで、ずっと庭のネット外しと草取り、娘のガレージの片付けをしました。実質、5時間。「腰痛」様と相談しながら、チカコといっしょにずっと作業の連続。

この土・日のどちらかに庭木のせん定をしてもらうので、猫が侵入しないように張っていたネットを外さざるを得なかったのです。ネットの取り付けよりも取り外しの方が手間がかかりました。まず、たくさんあるクモのあみをとり、ネット外し。

ネットを外していると「雑草」の多さが気になりだし、ついでに雑草取りも。半分終わったところで、娘の借りているガレージの片付けを。組み立てたスチール棚にあるものを片付け(ほとんどは廃棄処分)、午前の部を終了。

昼食後、再びネット外しと草取りを。作業を始めたときに「オートバイ、電化製品」の回収車が通りかかりました。以前からテレビや冷蔵庫、洗濯機、デスクトップパソコン、アンプなどを処分しようと思っており、まさに渡りに舟! 値段交渉をすると、安く引き取ってもらえることになり…(ラッキー!)。

ガレージに収納していたものを置いておく広いスペースができ、そちらの仕事はチカコが。私はクモの網や草と格闘しながらネット外しが完了。これでとりにくくなっていた郵便受けまわりもスッキリ。庭も元の姿を取り戻しました。

久しぶりに汗まみれ。腰痛がひどくはなりましたが、今のところ、普通に歩ける状態。今、このブログは風呂上がりに書いている次第。トニカクツカレマシタ…でも、風呂上がりのビールは最高にウマカッタ!
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2011年7月27日水曜日

本薬師寺跡周辺のハスとホテイアオイ

図書館に行ったついでに本薬師寺跡に寄りました。白鳳時代に建てられ、今は伽藍の礎石などが残されているだけです。平城京に薬師寺が建てられる前に藤原京に建てられ、平安時代までは伽藍が残っていたことが発掘調査で明らかになっているそうです。
クリックで拡大すれば読み取り可能?
本薬師寺跡周辺にはホテイアオイが栽培されていて、8月から9月末ぐらいまで花を目当てに多くの人が訪れます。今日は、予想どおりほとんど咲いていませんでした。奇跡的?にいくつか花を発見。
目立ったのは、合鴨ぐらいでした。

すぐ横にハスがたくさん咲いていました。こちらは、もう見頃を迎えかけていると言ってもよさそうです。

8月中旬頃なら、ハスとホテイアオイを同時に楽しめそうです。次に図書館に行くとき、再度訪れたいと思っています。きっと見事なホテイアオイの花が咲き乱れていることでしょう。
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2011年7月26日火曜日

気持ちのいい部屋に、変身!

やっとすべての畳、障子、襖が新しくなりました。

昨日、もう一部屋の畳の表替え。上の写真が一昨日までのもの。古い畳の変色と痛み具合は相当なものでした。それが下の写真のように、ヘンシン!
穴ではありません。掘りごたつです。
掘りごたつを使わないときは右の畳をはめ込みます
今日、すべての襖が元の場所に戻ってきました。。

今、日常的にこの和室を使っているのは義父。あとは月命日に住職がお経を上げに…。

玄関を開けた途端、畳のいいにおいがします。朝、2階から階段を下りるときに畳のいいにおいがします。このにおいを意識しなくなるのは何時になるのでしょうか。しばらくは新鮮な気持ちで過ごせそうです。
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2011年7月25日月曜日

夏休みの狩り

又吉栄喜の「夏休みの狩り」(光文社)を読みました。

作者は、自身の作品について次のように述べています。
「僕の体の中に残っている記憶から書きました。 その記憶は沖縄の原風景そのものです。 とても躍動した感覚で、思い出すと、今もワクワクする。 夏休みの日記帳のように体に残るもので書いた、頭で書いていない話です」

1950年代の沖縄の離島を舞台にした小説で、主人公である小学5年生の寛が夏休みに体験した海や山でのできごとを描いています。ひそかに憧れる同学年の鈴子への思い、中学3年生をボスとする遊び「仲間」と本島のワルガキとのけんか、島の「長老」の理不尽な「禁酒法」、本島から逃げてきた巨大な牛をめぐる騒動…さまざまなできごとが寛の周りで起こります。

豊かな自然の中で繰り広げられる「日常」が今はもう失われてしまい、「返還後、本土の資本が入り、素朴な風景が近代化されて、沖縄は”ミニ東京”のようになってしまいました。 山が開発され、赤土が流れ込んで、自然の砂浜が壊されたことに対する無念さが僕の中にたまり、エネルギーとなって小説の中になだれ込む。 僕はある種エゴイストなところがあり、惜しい、無念と、自分が思うこと以外は書く気持ちになりません。 だから、登山者による山の環境汚染、地球温暖化などは、世界的な問題であっても書かないです」と、作者は作品を書くときの自らの立ち位置をこう述べています。


私自身は大阪の豊中で生まれ育ちましたので、海は日常の中になく、また中学生と遊ぶこともなかったので、違った世界をのぞく楽しさがありました。そして気がつくと目だけが字面を追っていて、小学生時代の懐かしい思い出の糸をたぐり寄せていることにハッと気づき、また読み直す、ということをくり返していました。


例えば、近くの川でよく遊んだこと、毎日のようにセミとりを知り合いの「大邸宅」の庭でしていたこと、市民プールにウンチがあったこと、宿題をためて毎年2学期直前に仕上げていたこと、ラジオ体操に休まず通ったこと、蚊帳の中で寝ていたこと…。


夏休み以外のことも次々に頭に浮かんできました。近所の女の子とよく遊んだこと、ボロ家だと知られたくなくてクラスの友だちを家によんだことがなかったこと、高学年のとき放課後は学校に残り、毎日鉄棒の練習ばかりしていたこと(大車輪ができるまでになりました!エヘン!)、幼なじみを亡くしたこと、他所の畑のイチゴを(自分の家でも作っていたのに)盗って追いかけられたこと、どこかのおばあさんが道の真ん中でウンコをしていたこと、近くの小さな森で落とし穴を作って遊んだこと、電線のスズメに石を投げて命中させたこと、カエルを地面にたたきつけてから皮をはぎ釣りエサにしたこと…。

次から次へと忘れかけていた子どもの頃の思い出が、この小説を読むことによって甦ってきました。今はもう失われてしまった「昔」の光景。私より上の世代の方ならきっと「お気に入り」に入れることのできる本だと思います。
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2011年7月24日日曜日

「西日本アコ仲間の集い」第5回実行委員会

8月20日(土)、21日(日)に開催する「第36回西日本アコ仲間の集い」の第5回実行委員会が、当日の会場となる「ビッグ・アイ」のレストランで行われました。

参加者の最終確定にまでは至っていませんが、講師を含めて60名ぐらいの規模となりそうです。参加者は今のところ東京、奈良、和歌山、大阪、兵庫、広島、福岡などから。

久しぶりに参加される方、初めて参加される方、連続して参加されている方…さまざまです。もちろんアコ歴や曲の好み、アコの熱中度もさまざま…。だからこそ意義ある集いだと思っています。好みの合う仲間ももちろん大切ですが、いろんな地域から異なる経験を持つものが集まり、学びあい、交流することで、私自身は「アコの世界」が広がったように感じています。

「たった年に一度のことなのに、大袈裟な!」と言われそうですね。講師の先生方から学べること自体が貴重なのですが、それよりも参加者のみなさんから学ぶことの方が多いのです。特に、実行委員会の一員となってからはそれを強く感じています。「同じ釜の飯を食う」ことがそう感じさせるのでしょうか?

まったく関係ないことなのですが、たまたま「ビッグ・アイ」で「いづみ健老大学」の作品展と販売会が行われていました。自治体が主催する老人大学ではなく、NPO法人として自主的に運営されているそうです。「書道」「園芸」「俳句」「工芸」「絵画」「陶芸」などいろんな作品が展示され、一部は販売もされていました。










高齢者パワーに圧倒されました。見事な作品が並んでいて、私も何かを始めようかなあと思いながら見ていると、「エエ加減なアコーディオンをチャントセンカイ」という声が…。空耳だったのでしょうか。
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2011年7月23日土曜日

畳の表替えとふすまの張り替え

我が家は、築30年。お恥ずかしい話ですが、この30年で畳は「裏返し」を1回行っただけ。畳店のお薦めは5年で「裏返し」、10年で「表替え」のようです。ふすまも色あせたまま。障子の張り替えは素人仕事で…。

3年前に耐震工事を兼ねてリフォームを行いました。そのときは台所、風呂、トイレ、応接間をバリアフリー化し、オール電化に。また、2階の和室二間を洋間一室に。屋根瓦は軽量化。もちろん、壁の吹きつけも行いました。ドエライ出費でした。

リフォームが終わったら、次に1階和室の畳の「表替え」と襖や障子の張り替えをするつもりでした。しかし、この和室を主な生活の場としている義父母の具合が悪くなり、できなくなったまま時間が過ぎていきました。

義母が亡くなり、今なら義父がデイケアーに行っている間に作業をしてもらことが可能となり、やっと実現に至りました。まず、水曜日に表具屋さんがふすまと障子を持ち帰り、今朝、畳屋さんが。和室の様子はすっかり変わってしまいました。
破れたふすま 色もあせています
3日前、障子がなくなり寂しい和室
畳のない和室
昼過ぎ、表具店から障子だけを取り付けに来ていただきました。ふすまの方はあと2,3日乾かしてからとのこと。
さすがプロ
今朝持ち帰ってもらった畳は夕方に届きました。防虫シートを敷いてもらい(昔は新聞紙を敷いていたものですが、かえって湿気をよぶとのこと。大掃除で毎年取り替えていた頃はそれでもよかったのだそうです)、畳を元の場所へ。片方の和室は見事に甦りました。残った部屋の畳は来週に「表替え」してもらうことになっています。
防虫シート

新しい畳のにおい。無着色の日本製ならではのいいにおい。もう一つの部屋の畳とふすまが入れば…楽しみです。畳屋さんに伺うと、10年で「裏返し」、20年で「表替え」、で充分とのこと。小さい子が遊ぶ部屋だとダメなようです。(今日は松原アコを休みました。急に他の用事が入り参加できなくなり、今頃このブログをアップした次第)
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