2011年9月27日火曜日

初級教室に「新入生」が

いつものS公民館でアコーディオン初級教室を。今回は残念ながらお一人が欠席でしたが、新たに初級教室生をお迎えしました。

このブログで「初級教室」の存在を知り参加されることになった方で、30年ほど前にアコーディオンを手に入れられ、ほとんど練習しないままアコは休眠状態だったそうです。neneroroでオーバーホール(本来なら使い込まれたものを新品時の状態に戻す作業のことなんですが、眠った状態のものを元に戻したことになります)してもらったアコを持参されました。

定年退職を機にアコを(よくあるパターンです)もう一度初歩から練習したいとのこと。渋滞に巻き込まれたこともあって、車で1時間半もかけて来て下さいました。

そのMさんが持っておられた古い教則本を見せていただきました。見ると、発行年は1974年。木下そんき氏が作られた「音楽センター」発行の教則本。

このような教則本が存在したことを初めて知りました。1974年と言えば私はまだ大学生で、アコーディオンにはまったく関心のなかった頃。ページをめくってみるとその「古さ」にビックリ。

お気づきでしょうか? 今はほとんどの方がダル・セーニョと言っている記号が「ダル・セニオ」、ダ・カーポが「ダ・カポ」…。意味は同じなので何も問題点はなく、外国語をどう発音するかの違いだけなのですが、違和感があります。

その他にも「青焼き」でコピーした教則本もお持ちでした。若い方は想像もつかないでしょうが、昔は今のような白いコピーではなく、青焼きの湿式コピーがよく使われていました。
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8 件のコメント:

  1. 青焼きコピーを知っている最後の世代でしょうか。
    新歓モードです。きくさま、ぜひ、奈良アコ本会にも
    その氏をおつれしてくださいませね。
    先ほどE女史から三枚に渡るお礼のお便りをいただき、とても
    感激いたしました。
    上村松園さんの「大事なもの入れ」にしてあるクリアファイルにはさみました。ここ2,3週間は何度も取り出して読み返ししそうです。
    (きくさまにはおわかりかねるかと思いますが、おそらく、タカラヅカファンの1女の子が、ヅカガールからレスポンスをいただいたことに相当する位の感激。。。阪急沿線な少年時代をおくられたきくさまでも、どこまでわかってくださるかしら。。。)余韻で、少し飲みました。
    (ちょっとアルコールの入っているくま女です。。。)

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  2. くま女房さんへ

    くま女房さんが「青焼きコピー」をご存知とは!!!!ビックリ…

    実行委員長から、カンパや祝い金をいただいた方、JAAやAAAなどご協力いただいた団体、その他…へ、お礼状やメールを送っています。もちろん、FM大阪にも。
    委員長のEさんはいつも素早い行動で感心させられます。
    エエカゲンな私とは大違い。

    鈍くて配慮のできないキクより

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  3. 私がアコを始めたのは1978(昭和53)年、40歳の時でした。
    このタイプの教則本を使ってましたね。製本が悪くて頁がばらけたりしましたが、改訂版だったのかダ・カポやセニオと
    いう表記じゃなかったと思います。
    次いで使ったのは、内容はほぼ同じでも、表紙が濃い緑色1色の物でした。また私が所属してた新音ではオプションだったかも知れませんが、ソ連のアコーディオン独習教本といって
    ロシアのオリジナル曲が結構入っている物も購入しました。
    次いで現在よく出回っている、音楽センターの松永勇次編著
    になる「アコーディオン・メソッド」を使用しましたが、旧本は薄緑色で、現在の薄青色の元になった版です。

    なお私が三重県から新卒で大阪に教師として赴任したのは昭和35(’60)年。当時は楽譜や試験問題を印刷するのも、ガリ版に鉄筆というのを使用し、1枚1枚手でローラーを使って版画を刷るようにしていました。ロウを塗った原紙は破れ易く大変でした。
    のちに湿式コピー機なる物が現れましたが、これは10数枚か
    数10枚程度用で100枚以上のコピーには不向きでした。
    現在は、鉛筆で書いた物や、本のどこかのページを丸々何千枚という単位で、数さえセットしておけば両面印刷やホチキス止めまでして製本してくれるのを、鼻歌まじりで隣の部屋にいても勝手に出来上がるのを待っていればよい、という機種まで出現しています。
    ですからコピー機ほど著しく進化した物はないんじゃないかと感慨無量(無料ではなく結構お高い)。まさに隔世の感がします。(博物館に入れそうなほど古い人間の見本 BON より)

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  4. 新入生・・・新鮮な響きです(^-^

    1974年頃と言うと、広島支社から本社へ転勤させられてあちらでドキドキ、こちらでドキドキの日々でした。
    横浜・旭区から東京・銀座へ超満員電車通勤が嫌になっていたなぁ(汗
    そんな田舎者でした(笑
    楽器・・・まったく縁がなかったです。

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  5. MR.BONさんへ

    ガリ版…なつかしいです。私が新任当時もまだそれが主流で、教師になった年にさっそく自分専用にガリ版セット(謄写版も)を買いました。結局、使ったのは2年間だけで、その後は、「ボールペン原紙」「タイプ原紙」「ファックス原紙」などいろんなものを使い、現役最後の方ではUSBメモリーを印刷機に差し、パソコンで作ったデータを直接印刷…。
    昔は1枚の印刷物を作るまでにずいぶん手間と時間がかかりましたが、今はデータを用意さえできれば印刷はあっと言う間。
    ……昔を懐かしんで、BON先生のコメントに異常に反応してしまいました。

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  6. てるおさんへ

    大都会・東京での勤務を経験されてるんですね。よく堪え忍ばれましたね…。
    通勤ラッシュというものを私は経験したことがありません。学生時代にたまにそういう時間帯に電車を利用して、エライ目に遭ったことがある程度です。

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  7. 一昨日の吉田先生喜寿コンサートに関連するコメントで2点追記したいことがあります。
    1点はこの貴ブログ上で拝見させていただいている、てるおさんが遠い広島の地からコンサートを聞きにいらっしゃるということを知り、一度お会いしたかったナ、ということ。
    もう1点は、あの難曲ボレロについて。
    多くのプロ奏者でもあの曲をアコで弾きこなせる方はごく僅かしかいないだろう、ということ。少なくとも私には左手が腱鞘炎になりそうでまずムリに近いと思います。
    書いているうちに、もうひとつ思い出したことがあります。
    サラサーテのロマンス・アンダルシアを西アコで先生が弾かれるのを初めて耳にした時の感激。
    泣かせるメロディーであることが、何といっても感激の第一要因なのですが、先生が弾かれると全く素晴らしい、の一言なんです。
    くま女房さんみたいにアルコールは入っていないけど、酔ってしまいます。
     奈良アコのブログを拝見していたら、重鎮U氏がボレロのことに触れておられましたが全く同感です。

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  8. MR.BONさんへ

    愛知県にお住まいの角谷精三プロ(今年、引退されるそうです)がコメントを寄せていただきました。
    その角谷さんは「ボレロ」を聴きたかった旨のことを書かれていました。
    奈良アコのU氏、BON先生、そして角谷氏、共通して「ボレロ」…。私みたいなものにはよく分かりませんが、あるレベルを超えた方は共通して「ボレロ」を評価されていることが分かりました。

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