著者はドイツ語圏での有望な若手作家だそうで、この「僕とカミンスキー」は24カ国語に翻訳され、次作の「世界の測量」も多くの国で翻訳出版されたようです。
なぜ、それほどまでに人気を博した本なのか、読み終えてからもよく理解できないでいます。
物語は至ってシンプル。無名の若手美術評論家が「盲目」の有名な老画家の自伝を書いて世間の注目を集めようと、老画家の住むアルプスのアトリエ兼住まいを訪問し、半ば誘拐するように画家の昔の恋人にあわせるために旅を共にし、その過程で老画家の「真実」を知り…あとはお読み下さい…
主人公の美術評論家ツェルナーは、礼儀・礼節とはまったく無縁な男。ウソをつくのは当たり前。周囲の人々との衝突、けんかも日常茶飯。そもそも老画家カミンスキーの自伝を書こうとする動機も不純。絵や人物が気に入ったからではなく、「死」を間近に控えている人物であるということ…。
このツェルナーの一人称視点で物語が進行するのですから、気分よく読めるはずがありません。しかし、物語が進むにつれて老画家カミンスキーの方が一枚も二枚も役者が上であることが明らかになっていきます。この辺りからやっと「面白く」なってきます(物語が終盤にさしかかる辺り)。
そして、想像もできなかった意外ないくつかの事実をツェルナーが知ったとき、貴重な取材メモや録音テープなどを海に捨て、これまでの自らの行いを悔いるシーンで終わりを迎えます。
もしかするとツェルナーがこの後真っ当な生き方を選ぶかもしれないという期待を抱かせて終わるのですが、この物語に登場するどの人物にも「共感」を覚えることができず、不快な読後感が残るのみ。このブログを読んでいただいている方に「いい本」を紹介したいのですが、またまたボヤキになってしまって申し訳ありません。
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