2011年7月25日月曜日

夏休みの狩り

又吉栄喜の「夏休みの狩り」(光文社)を読みました。

作者は、自身の作品について次のように述べています。
「僕の体の中に残っている記憶から書きました。 その記憶は沖縄の原風景そのものです。 とても躍動した感覚で、思い出すと、今もワクワクする。 夏休みの日記帳のように体に残るもので書いた、頭で書いていない話です」

1950年代の沖縄の離島を舞台にした小説で、主人公である小学5年生の寛が夏休みに体験した海や山でのできごとを描いています。ひそかに憧れる同学年の鈴子への思い、中学3年生をボスとする遊び「仲間」と本島のワルガキとのけんか、島の「長老」の理不尽な「禁酒法」、本島から逃げてきた巨大な牛をめぐる騒動…さまざまなできごとが寛の周りで起こります。

豊かな自然の中で繰り広げられる「日常」が今はもう失われてしまい、「返還後、本土の資本が入り、素朴な風景が近代化されて、沖縄は”ミニ東京”のようになってしまいました。 山が開発され、赤土が流れ込んで、自然の砂浜が壊されたことに対する無念さが僕の中にたまり、エネルギーとなって小説の中になだれ込む。 僕はある種エゴイストなところがあり、惜しい、無念と、自分が思うこと以外は書く気持ちになりません。 だから、登山者による山の環境汚染、地球温暖化などは、世界的な問題であっても書かないです」と、作者は作品を書くときの自らの立ち位置をこう述べています。


私自身は大阪の豊中で生まれ育ちましたので、海は日常の中になく、また中学生と遊ぶこともなかったので、違った世界をのぞく楽しさがありました。そして気がつくと目だけが字面を追っていて、小学生時代の懐かしい思い出の糸をたぐり寄せていることにハッと気づき、また読み直す、ということをくり返していました。


例えば、近くの川でよく遊んだこと、毎日のようにセミとりを知り合いの「大邸宅」の庭でしていたこと、市民プールにウンチがあったこと、宿題をためて毎年2学期直前に仕上げていたこと、ラジオ体操に休まず通ったこと、蚊帳の中で寝ていたこと…。


夏休み以外のことも次々に頭に浮かんできました。近所の女の子とよく遊んだこと、ボロ家だと知られたくなくてクラスの友だちを家によんだことがなかったこと、高学年のとき放課後は学校に残り、毎日鉄棒の練習ばかりしていたこと(大車輪ができるまでになりました!エヘン!)、幼なじみを亡くしたこと、他所の畑のイチゴを(自分の家でも作っていたのに)盗って追いかけられたこと、どこかのおばあさんが道の真ん中でウンコをしていたこと、近くの小さな森で落とし穴を作って遊んだこと、電線のスズメに石を投げて命中させたこと、カエルを地面にたたきつけてから皮をはぎ釣りエサにしたこと…。

次から次へと忘れかけていた子どもの頃の思い出が、この小説を読むことによって甦ってきました。今はもう失われてしまった「昔」の光景。私より上の世代の方ならきっと「お気に入り」に入れることのできる本だと思います。
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3 件のコメント:

  1. 私も子供の頃は三重県の田舎の、山の中みたいな所で過ごしたし、七十余年も生きてきましたから、想い出はいっぱいあります。

    兎に角、田舎の川はすごくキレイで、水の上からでも砂の一粒一粒がハッキリ見えたこと、岩陰に隠れている魚(ウグイ・アマゴ・ハヤ等)を潜って手づかみしたこと、中学生の頃は一つの小高い山を越えて、友人と走って家に昼食を食べに帰ったこと(当時弁当を持参する子は少なかった)、トンボをつかまえ、シッポに糸を結んで飛ばしたこと、田んぼの細い畦道の草を左右から結んで、後から走って来る子を引っかけさせるイタズラもよくやったっけ。(自分で言うのもナンですが、兎に角おとなしい子供でした。)

    その頃学校では「鉄百貫と綿百貫とどっちが重い?」(貫匁で言う所が如何にも現代的なシティボーイを感じさせるぢゃあーりませんか)というクイズを先生から出され、聞かれたヤツは誰でも即座に「そりゃー 鉄サ」と答えたので、先生に笑われ、それ以後しばらく村の子供達の間では「そりゃー鉄サ」というフレーズがブームになりました。
    また冬場では道が凍るので、木馬(田舎の標準語でキンマと言うとりました}というのを作って滑ったり、太い木の枝を切ってコマを作ったりしたものです。
     おばあさんの腰ヒモみたいな太さの紐をくすねて来てそのヒモでコマの腹を打ちつけ叩くと、叩いている限りいくらでも廻り続けるのです。道路で遊ぶのですが、地道なのでヒモで打ちつけられた所だけテカテカに光ってたものです。
    あれまぁとんだシティボーイぶりを披露してしまいましたナ。ワタイとしたことが....。
    続きはまた20年後にでもお楽しみに....

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  2. MR.BONさんへ

    なっと残酷な! トンボに糸を結んでとばすとは…
    私はそんなことはしたことがありません。
    トンボの羽を1枚とって、どう飛ぶかという「実験」ぐらいです。豊中は上品なんです…???
    糸を結んで飛ばしていたのはカナブンだけです。

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  3. さすが豊中ですナ。その上品さには負けそう。尤もワタイら
    もトンボのシッポを短く切って、そこへ紙を丸めて入れたらどう飛ぶか、という実験はキッチリしてました。
    子供の発想というのは、どこでもニタリ(オット、こんな所でカナを使っちゃイケナイ)似たり寄ったりなもんですナ。 
     大学生の時、兵庫県出身の友人が、下宿先の小学生の姉妹を教えて下宿代をチャラにしてもらっていました。子供達はよくなついていましたが、ある時言葉遣いのことで彼がひどくカチンと来て怒ったそうです。
    「覚えてるかナ」と確かめた時、姉妹が揃って「忘れたったァ」と答えたから、と言うのです。
    忘れ「タッタ」とは何事だ、というわけです。故意に忘れてやった、と聞こえたのでしょう。しかし三重では、それは単に「忘れちゃった」を意味する表現なのです。(関西弁だと「忘れてもた」ですナ)。
    後日われわれ学生友達が彼の下宿先へダベリに行き、うちの一人がたまたまそんな表現をした時、彼、ハタと膝を打ち「なぁんや、そういう意味だったのか、子供たち強く叱って悪かった。」と吐露していました。
    前のコメントで書いた「そりゃー鉄サ」のように文尾につける「サ」も三重では殆どの人が多用します。
    三重には三重の文化があるんです。

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