2011年4月30日土曜日

実家の豊中で一泊=その1=

私の生まれ育った豊中市へ両親に会いにいっていました。二人とも80を超えていますが、忙しい日々を送ってくれていて、息子としてはうれしい限り。

ゲートボールやグランドゴルフ、老人会活動、体操教室、書道、俳句、ハイキング、ボロンティア活動、花の世話…、私よりも日程が詰まっている両親。

庭にはいろんな花がいつ行っても咲いています。桜や松をはじめ、いろんな木があり目を楽しませてくれます。


















昨日は、お隣の池田市に住む羽曳野立TK小学校の卒業生であるKさんに会いに行きました。卒業して22年。当時の面影が残っている、というよりほとんど卒業したときそのままの顔。「母にますます似てきたと言われ」るとのことですが、まさにその通り。お母さんと個人懇談をしている気分になってきてしまうほど、よく似てきていました。…息子さんは、パパそっくり。

昔話に花が咲き、長居しすぎてしまいました。「パパ」は転勤が宿命づけられているお仕事なので、北海道から大阪に戻ってきていつでも会える状況になったのに、しばらくすればまたどこかへ…。

つい最近、同じクラスだったMくんが息子さんを連れて我が家を訪ねてくれました。彼の近況をKさんに話すと、幼稚園からいっしょだったそうで、小学校当時のこともよく覚えていました(このブログをよく訪問してくれているMくん、ヨカッタですネ)。私自身は、あまり自分の小学校時代の記憶がないのですが、二人(Mくん、Kさん)ともよく覚えているので感心してしまいます。

教師生活を振り返ると、いろいろなことが思い返されます。豊中市立S小学校での楽しい新任教師時代。今思えば、武器は「若さ」のみ。温かい目で見守っていただき、陰に日向になって支えていただいたた保護者や同僚・先輩のおかげで、2年間いい思い出しか残っていません。

チカコ(妻)との結婚に備えて奈良県に近い羽曳野市へ転勤し、H小学校で9年間。ここは端的に言えば非民主的な「解放教育」の先進校。論争に明け暮れ、制約(しばり)が多く、自由な学級経営ができない中でストレスのたまり続けた9年でした。特定の運動団体が学校教育に口をはさむことを当然とする学校の方向を少しでも変えたいという思いだけで「耐えた」9年。子どもたちには申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

そして、TK小学校へ転勤。前任校とはまったく違い、自由に学級経営・教育ができ、素晴らしい!?教師集団の中で楽しく教師生活を送ることができました。転勤してすぐに受け持った5年生のクラスにMくんやKさんがいたのです。PTAとの関係もよく、新任校につぐ楽しい教師生活を送ることができた学校でした…

このまま続けるとナガ~クなりますので、ここら辺りで……
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5 件のコメント:

  1. 実家が別の場所にあると、里帰りが出来ていいですね。
    ボクは殆ど実家にいたので、外に住んでたのは15年くらいです。

    懐かしい友や風景を楽しんで下さいね。(^o^)/

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  2. 匿名さんへ

    実家といっても、車で1時間チョットで帰ることのできるところなので、「里帰り」という感覚はあまりないです。

    でも、年に数回しか行かないので、その都度、近所を散策して懐かしんでいます。

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  3. ニトベンと書くのを忘れていました~。

    失礼しました。(^o^)/

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  4. こんばんわ。初心者教室の村の者です。
    懐かしい場所っていいですね!
    僕も昔、住んでた場所にいってようかなあ

    五日前、携帯が壊れて、アドレスが消えてしまいました。
    先生、またご連絡いただけますか

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  5. まさか1年前のブログにコメントしていただくとは思っていなかったのでお返事が遅くなってしまいました。スビバセン!
    携帯を水の中に落とすなんて…防水機能のある携帯を買わレテハ…

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