2011年3月17日木曜日

ティファニーで朝食を

トルーマン・カポーティの「ティファニーで朝食を」(村上春樹訳、新潮社)を読みました。中編なのですぐに読める本なのですが、3日もかかってしまいました。

2時間もかからない本に3日もかけてしまったのは、震災や原発のことが頭から離れず集中できなかったことが第一。

そして、あまりにも本の内容がつまらなかったのが第二(もしかしたら、こちらが要因かも)。

「ムーンリバー」の曲で有名な映画。映画と小説が違うものだというのはもちろん承知していますが、訳者の村上春樹が書いているように「主人公ホリー・ゴライトリーについ、オードリー・ヘップバーンの顔が重ねられてしまうことになる。これは小説にとってはいささか迷惑なことであるかもしれない」という指摘が当てはまらないぐらい、いやそういう指摘が不要なほど、私にとっては心を動かされることのない小説でした。


14歳で「結婚」するぐらい不遇な少女時代を過ごした主人公が「自由奔放」に生き、最後には麻薬犯罪に巻き込まれ、逃げるようにブラジルへ移り住むまでを描いた小説。

「自由奔放」といえば聞こえがいいのですが、彼女の口からは信じられないような台詞が次々と発せられます。例えば「でもね、実際のところは、このあいだの晩に勘定してみたんだけど、恋人にした男は全部で11人しかいなかったわ。13歳より前のことは別よ。だってそんなのは数に入れられないじゃない。だから11人。なのにどうして、商売女みたいな言い方をされなくちゃならないわけ?」。


青春まっただ中という人たちが読めば、もしかしたら「いい作品」なのかもしれませんが…、私がもし青春時代に読む機会があったとしても、今と同じ感想を持ったことでしょう。せめてストーリーの展開を楽しめる小説なら、内容がつまらなくてもそれなりに価値はあるのですが…。この小説には、それもありません。
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