2010年12月28日火曜日

繫がれた明日

真保裕一の「繫がれた明日」(新潮文庫)を読み終えました。

この小説は、4年前にNHK土曜ドラマとして放映されていたようです。
ドラマ化にあたって、真保裕一が次のようにNHKのHP上に書いてあるのを見つけました。


ミステリという物語の多くは、犯人が逮捕されて事件が解決し、それで終わる。だが、現実の殺人は、犯人が逮捕されたからといって、すべてが解決するわけではない。被害者、並びに加害者の身内は、癒えない傷を抱えて先の人生を歩んでいかねばならない。当然ながら罪を犯した当の本人にも、過酷な現実が待ち受けている。そして、彼らの多くは、刑期を終えれば、我々の社会に戻ってくる。
 この「繋がれた明日」は、ドラマ化するには正直重すぎるテーマだろう。泣けさえすればいい、という昨今の風潮からは、ちょっと遠そうでもある。どう味付けするのかと思っていたら、完成したシナリオを読んで、驚かされた。下手な小細工などなく、真っ向勝負の内容だったからだ。

主人公の中道隆太が19歳のときに犯した「殺人」。仮釈放中に保護司に見守られながら「更正」をはかろうとします。その隆太の前に「更正」を阻むさまざまなできごとが…。

くどいと思えるぐらい、隆太の犯した過ちを悔いる心情が、これでもか、これでもかと…。そして、殺人に至る過程への自己弁護も…。

加害者と被害者の倒錯した構図がこの小説の面白味でもあるのですが。

幸いなことに、私の周囲には今のところこうした人間関係はないのですが、その可能性は否定することはできません。

自分自身が「試される」ときが来ないことを願うのみです。

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