昨日紹介した対談で、寂聴は語っています。
「私自身がもう八十五歳でしょう。まず目が白内障になったし、耳が遠くなる。今は目は手術したらすぐ治るし、耳は補聴器をつけたらいいんですよ。
ところが世阿弥の時代には何もないでしょう。悪くなったら悪くなったまんま。世阿弥は八十歳位まで生きたらしいんですね、当然目も耳も悪くなっているでしょう。でも、私は世阿弥はそこで悲観的になってないと思うの。実際に筆を執れなくても、頭の中ではいくらでも書ける。今まで観てきた過去の舞台もなぞれる。私だったらそうします。
重ねてきた歳月の記憶をたどるのは愉しいこと、豊かに生きた証です。そう考えれば老いも死も怖くなくて、意外に幸せなんじゃないかしら。それで小説の最後に一人の女を登場させたくなった」と。
足利義満や「連歌」の大成者として知られる二条良基との男色売春を、世阿弥は12歳という少年のときから始めさせられたこと、妻との関係や佐渡に流された(72歳)後の身の回りの世話をした「沙江」との女性関係など、寂聴が昔「子宮作家」と呼ばれたことが、なるほど…、と思える表現を交えながら、世阿弥の生涯を見事に描いている小説です。
私の好みには合わない作品。たぶん、もう寂聴のものを読むことはないと思います…。
にほんブログ村
0 件のコメント:
コメントを投稿